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任意団体ミンナソラノシタ
2020/04/16
すべての子どもたちが100年後もみんな空の下で幸せに暮らせますように!
任意団体ミンナソラノシタ

私たち、ミンナソラノシタの合言葉は、 
「すべての子どもたちが100年後もみんな空の下で幸せに暮らせますように!」 
今置かれた場所でできることを実践する京都の母親たちによるボランティア団体です。

「微力だけど、無力ではない。」 
そんな想いで、東日本大震災後にご縁をいただいた福島の母たち子どもたちを応援しています。

復興は進んでいるのに、どうしてまだ不安が残るの?

2011年の東日本大震災と原発事故。 
現在、福島では生活環境の除染もすすみ、ほとんどの町と人は平穏を取り戻したかのようです。

しかし、福島の復興の影には、放射能が子どもの健康にもたらす影響への不安を拭い去ることができず、今も迷いの中で子育てに奮闘しているお母さんたちがいます。

緑豊かな野山は除染されておらず、そこで花を摘み、木の実を拾い、駆け回る。 
そんな自然の中での経験がしにくくなってしまった子どもたちがいます。

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被爆の影響を受けやすい子ども

細胞分裂が活発な子どもほど被曝の感度が高いとされています。 
しかし、年間被曝限度量・食品中の放射性セシウム規制値は震災後に大幅に引き上げられ、大人と同じ基準が子どもにも採用されています。 
実際に、福島の子どもの尿からは震災前の6~7倍の放射性セシウムが検出されています。

甲状腺がんの増加と被曝との因果関係

福島県の小児甲状腺がんの患者数は230人を超え(2019年)、それは他地域の20~50倍にもなります。 
甲状腺がんは、放射性ヨウ素被曝が主な原因のひとつです。 
しかし、県民健康調査検討委員会は、「検査精度の向上や検査数の増加で発見数が増えた。また、一生治療を必要としない無症状のがんまで過剰に見つけてしまっている。原発事故による被曝が由来とは考えにくい。」との見解を示しています。

国は「原発事故による健康被害は今までもこれからもない。」と言う立場を明らかにしています。 
しかし長期間の低線量被曝が健康にどんな影響をもたらすかは、専門家の間でも見解が分かれ、実際のところはまだわかっていません。

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ホットスポットの存在

生活環境の除染はある程度すすみましたが、ところどころに放射線量が高いホットスポットが今も存在しています。 
側溝や植え込み、雨樋の下など、子どもが好みそうな場所の線量が高い傾向があります。 
公園や校庭などは除染されていますが、山は手つかずです。 
そのため雨や風などの影響で、除染した地域でも再び線量が上がってしまうことがあります。

口に出せない不安

福島では、放射能に不安を感じていてもそれを口にすることは難しいそうです。 
「国も安全だと言っているし大丈夫。」 
「本当は不安だけど考えたくないから言わないでほしい。」 
「復興ムードに水を差さないで。」 
いろんな考えや価値観の人がいます。 
せめて心配事を共有したり相談できる相手がいれば、救われる人がいるのかもしれません。

ミンナソラノシタの福島支援「幼稚園留学」

東京電力福島第一原発事故により、子どもの生活環境に未だ残る放射能への不安から、自然体験や外遊びの機会が減少してしまった福島の母子を京都に招待し、約3週間地元の幼稚園に通ってもらう取り組みです。

これは、チェルノブイリ原発事故により大きな被害を受けた隣国のベラルーシ共和国が今も国策として行っている子どもの保養制度を参考にしています。 
ベラルーシの保養では、3週間以上非汚染地に滞在し、健康的な食事をとることで体内に蓄積された放射性物質が3割程度減少するとの報告があります。 
私達もこれに倣い、3週間の滞在中、京都の生活協同組合2社より安心安全な食材を提供していただいています。

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幼稚園留学のねらい

子ども達は園庭で伸び伸びと遊び、どんぐり拾いやおいも掘りなど、心ゆくまで自然に触れる体験ができます。母親達は放射能の心配事から離れ、ゆったりした気持ちで子どもとの時間を楽しむことができます。3週間の京都滞在で、母も子も心身ともにリフレッシュしてもらうことがねらいです。

さらには、福島では口にすることが難しい本音を語ったり、価値観が近い参加者同士が知り合うことで、これからも福島で前を向いて暮らしていく希望をつかむことができます。

そして最大の目的は、幼稚園留学を通じて、京都から福島を想う人が増えること、京都と福島の母子が友達になることです。

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幼稚園留学に参加したお母さん達の言葉

「幼稚園から帰宅した子どもの靴に砂が入っていて、こんなに外で遊んだのかと、とても嬉しかった。」 
「おいも掘りで使った軍手が土で真っ黒になっていて、洗いながら涙が溢れた。記念に持ち帰ろうと、洗うのをやめた。」 
「放射能の心配をしないで暮らせることがこんなにも幸せなのかと、‘当たり前のこと’を実感した。」 
「福島では子どもを思うあまり、これをしちゃだめ、あれも触っちゃだめ、と子どもの好奇心の芽を摘んでしまっていることに、不安から離れて初めて気づいた。」 
「遠く離れた京都の人が今も福島を想い、忘れずにいてくれているだけで感謝。これからも忘れないでいてほしい。」

このような言葉を聞くたびに、大なり小なり不満はあれど、安心が当たり前にある普通の暮らしがどんなに幸せなことなのか気付かされると共に、同じ時代に生きる母として、彼女たちの苦悩を他人事で済ませておいてはいけないと思うのです。

変化する福島

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外遊びの時間が制限された震災直後には、外で遊べないストレスや、体力・運動能力の低下などが問題でした。 
母たちの不安も、「ここで暮らしていいのか」「子どもの健康は大丈夫なのか」というようなことが中心でした。 
その頃ミンナソラノシタは、外遊びを制限されてしまった子どもたちのために、室内で砂遊びをするためのホワイトサンドを贈りました。

時間が経過し、人々が元の暮らしを取り戻すにつれて、 
「みんなは普通に暮らしているのに、いつまでも放射能が気になる自分は神経質なんだろうか」「この不安を誰にも相談できない」というような悩みに変化していきます。

さらに、避難者への家賃補助が打ち切られ、望まない帰還をせざるを得なかった人が福島に戻ったことで、「逃げた人」と白い目で見られたり、「周囲との関係がうまく行かない」といった新しい悩みも増えてきました。

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震災時に生まれていた子どもはもう小学校に上がっています。震災時にはまだ子どもを持っていなかった若い世代の親が増えるにつれ、この問題に対する関心は、現地でも徐々に薄れているようです。

ミンナソラノシタは、日々変化していく福島の母たちの想いや状況を汲み取り、その時私達にできる最善の方法で、福島の母たち子どもたちに長く寄り添っていきたいと考えています。

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