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ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
2020/05/13
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトのルダシングワ真美です。

ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトのルダシングワ真美です。

私たちは1997年からアフリカのルワンダで義足を作りながら障害者支援を続けています。

ルワンダは「千の丘の国」と呼ばれ、赤道直下にあるけれど標高が高いので、アフリカとは言えど、過ごしやすい気候の国です。

 

目次

  1. 1. ルワンダの歴史
  2. 2. 活動のきっかけ
  3. 3. 義肢製作所のその後
  4. 4. 最後に

 

1. ルワンダの歴史

ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト

ルワンダは第一次世界大戦後、ベルギーの植民地にされました。

ベルギーは平和に暮らしていたルワンダ人を3つの民族に強制的に分け、民族名を書いた身分証明書を作り、対立を煽るような政策を取りました。

例えば学校。一方の民族を成績が悪くても、次の学年に進級できるような優遇措置を取ります。当然、成績が良くても進級できない人は、相手に対して嫉妬や憎しみの感情を持つでしょう。

そのような憎しみを煽る政策が教育の場だけではなく、会社や市民生活の中でも取られるようになりました。

そして最終的に鉈や斧などを使って隣人を殺すという大虐殺が起こったのです。

1994年の大虐殺のときには、わずか100日間に100万人の人が殺され、当時は日本のテレビや新聞でも大きく報道されました。

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2. 活動のきっかけ

この活動を始めたきっかけは、一人のルワンダ人男性との出会いでした。

東京丸の内にある法律事務所で、広がりのない仕事をすることに疲れ、日本を抜け出したくなりました。

たまたま手に取ったガイドブックに、ケニアでスワヒリ語を勉強してみませんか?というコラムが目に飛び込んできました。

初めて行ったアフリカは、見るものすべてが新しく、楽しい日々でした。

そこでルワンダから紛争を逃れて生活をしていた、足に障害のある男性に会ったのです。

今まで明るい一面しか知らなかったアフリカ、そしてルワンダの闇の部分を話してくれるその人に惹かれていきました。そして未来を一緒に見たいと思いました。

彼が足に障害を持っていたことから、自然と気持ちが障害者に向き、ケニアから戻った後、日本の義肢製作所で修業をし、大虐殺の終わったルワンダに向かったのです。

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虐殺後のルワンダには足を失った人がたくさんいました。朝からルワンダの義肢装具士と一緒にフル稼働です。

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3. 義肢製作所のその後

それから20年以上が経ち、義肢製作所を訪れる人はあの頃よりは少なくなりました。

でも足を失った人の足がまた生えてくることはありません。そして義足はみんなが履いている靴と一緒で、消耗品です。だから古くなれば作り直さなくてはいけません。

つまりこの活動に終わりはありません。

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私たちの活動が未来に続き、私たちの世代で終わってしまうことのないよう願っています。

ルワンダ人の義肢装具士も育ってきました。その中には独立して、自分の義肢製作所を開いた青年もいます。

巣立っていく彼らを見ながら、自分たちが年を重ねているということにも気が付きました。

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4. 最後に

どうぞ皆さま、私たちの活動を応援してください。そして見守ってください。

ルワンダの障害者が立ち上がれるよう、これからもできる限りのことをやっていきたいと思います。

虐殺が終わって26年、傷ついたルワンダの人たちは、国を立て直そうと、発展させようとがんばっています。

私たちは彼らの補佐ができるよう、力を添えていきたい。

そのためには皆さまの力が必要です。

よろしくお願いします。一緒にルワンダの人たちを支えてください。

そしていつかルワンダに来て、前に向かって歩んでいっている彼らに出会ってください。

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